簡体中国語の記事を作成する理由

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今回の記事は、私が簡体中国語の記事を作成する理由について記載します。これまでの人生で二度の転機があり、その経験が今の私を作り上げていると感じています。

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なぜ中国語?

日本人が外国語として身近なのは、やはり英語でしょう。

日本では、私の時代は中学校から、今は小学校から英語を勉強し始めます。現在は各小学校に英語ネイティブの方が授業を持たれていて、会話をメインに学んでいます。

私も学生時代は英語を学んでいましたし、未だにコンピュータ関連の読む事に関しては、外国語の中では英語の方が読みやすいと感じます。

普通に考えれば、英語の方が身近に感じるはずです。

そんな私の中国との関係は幼い頃に遡ります。

最初の出会いは西遊記

私の幼い頃にはカラーテレビが普及していた時期で、アニメやドラマも放映されていました。その中でも私が好きだったのが西遊記というドラマでした。

当時は中国の物語という認識はなく、孫悟空や三蔵法師、沙悟浄や猪八戒のドタバタ劇を楽しく見ていたという記憶が残っています。CG なんて存在しない時代です。臨場感よりも雰囲気を楽しんでいました。

その後、西遊記にインスピレーションを受けたドラゴンボールという漫画が人気となりました。コミック派で完結まで読んで、こちらも私の古い記憶に強く残っています。

次の出会いは三国志

次の出会いは高校時代のゲームでした。

パソコンのシミュレーションゲームで、友人の間で「信長の野望」と並んで人気だったのが「三国志」でした。魏・呉・蜀の三か国の争乱を元にしたゲームで、曹操に劉邦に孫権、関羽とか張飛とか諸葛亮とか、三国志のストーリーは知らないままにゲームに熱中していました。

その後は小説

高校の後半から大学時代は、コンピュータ関連の雑誌や書籍と並んで、漫画と小説を大量に読んでいました。

小説は SF やファンタジーが主でしたが、その中で田中芳樹さんの小説を好んで読んでいました。

この方は中国を舞台にした小説も書かれていて、当時ハードカバーの本でしたが購入して読んでいました。

余暇ができたら、もう一度読み直したい小説の一つです。

中国へ赴任

就職してからは小説を読む余裕もなくなり、中国との関係は薄れてきました。日々生活するだけで精一杯で、コンピュータ関連についても時間を取って触れる機会が少なくなっていました。

そんな中、降って湧いたように中国行きを命じられました。それも2回。

1度目の中国生活 (転機1)

上海近くの都市で1年間過ごしました。

事前の語学の学習もなく、前提知識もなく、当時の上司からは「とりあえず行ってくれ」だけ。業務の目的も、片言どころか中国語も中国生活の知識もないまま放り込まれました。

駐在の方々の支援で生活基盤を整え、現地の通訳の人達から少しずつ中国語の日常会話と簡体中国語の文字を学び、なんとか日常生活を送る程度の中国語を覚えました。

それでも仕事に使えるレベルには到底達しておらず、通訳の人数も不足していましたので、片言+手書き文字+マンガ絵で意思疎通していました。

結果として分かったのは「基礎なしで中国語を理解するのは無理」という現実でした。

これとは逆の意味で「言葉が通じなくてもなんとか生活できる」という開き直りもできました。

中国語といっても方言が強く、上海語や地元の言葉を話されると全く意味が分かりませんでした。

2度目の中国生活 (転機2)

広東省の地方都市で2年間過ごしました。

前回の中国生活で覚えた言葉は大分減っていましたが、ゼロからのスタートではないので、少し経つと思い出してきました。特に耳が聞き取る事が出来るというのは大きかったと思います。

とはいえ、方言の難しさには同様に悩まされました。広東語は四声ではなくもっと抑揚の種類が多く、喉から出す音もあって全く聞き取れません。

2回目の時には中国国内の出張も多く、自分の中国語の語彙の少なさに愕然とする毎日でした。

それでも、空港の喫煙所でライターを借りたり、売店で煙草を買ったり、出張先の社宅近くの売店でビールやつまみを買ったりと、日常生活を送る中で、ほんの少しですが交流を持ち、後半には日常会話の標準語であれば4割程度は聞き取る事ができるようになりました。話す方は全くダメです。四声がちゃんとしていないので通じませんでした。

中国の新幹線で「赤壁」の近くを通った時には内心は興奮していました。

現在は大きな接点はなし

合計3年間の中国生活を過ごして日本に戻ってからは、中国とは縁遠い生活を送っています。

関東圏に住んでいますので外国の方は多く、その中でも中国の方は多いですが、あまり接点はありません。毎日の通勤の中で中国語を聞く事は頻繁にあります。でも中国語で道を聞かれたのが1度だけです。

仕事でも中国の方と接する機会はほとんどありません。会社の中にも中国の方はいますが、業務は日本語で行っていますので中国語で話す機会もありません。

多言語サイトで英語ともう一つの選択肢は簡体中国語しかない

このサイトで Bogo プラグインで多言語サイトを作ろうと考えた時に、英語以外のもう一つの言葉として選んだのは簡体中国語でした。

私の人生の中で大きな転機となった3年間の中国生活は、当時は大変な思いをたくさんしましたが、現在では昇華されて楽しい思い出しか残っていません。大変だった経験は心の奥底でちゃんと肥やしになっています。

他の言葉と比べると簡体中国語は少しは理解できます。翻訳された文章の意図が大きく異なっている場合には気付けます。

自分の人生に大きな影響を与えたと自覚している簡体中国語に、もう一度触れたいと考えて、選択しました。

結び

このサイトを多言語化するにあたって、英語ともう一つの言葉に簡体中国語を選んだ理由について記事にしました。

3年という短い間でしたが、中国で生活していた事は、現在の私の考え方に大きく影響しています。それほど、中国生活は刺激のある毎日でした。

できれば中国の方々にも記事を読んでもらえたらと考えていますが、中国国内の検索の主流は Google ではなく Baidu なんですよね。Yoast SEO には Baidu Webmaster tools への接続方法もありますが、色々とハードルが高そうです。

もう少し調べて、記事にするか考えます。

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